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第6報:《謝辞ほか》

第6報:《謝辞ほか》


去る10月23(日)日13時より八戸市公会堂で開演したリセ55周年記念=豊島和子追悼公演《ギンリョウのたびだち》は、「コッペリア・スゥィート(組曲)」から小品集へ、ことに4プロの二作、大久保一恵(かずえ)作品『人称と所在』と田島千征(ちゆき)作品『Left Long Left』、さらに5プロの招待作品、及川廣信(ひろのぶ)さんによるダンス『shiranuka————豊島和子に』と根本忍(しのぶ)さん作曲演奏・橋本晋哉(しんや)さんによる古楽器セルパン演奏『セルパンとライヴ・エレクトロニクスによる〈シララオイカ sirar. oika〉2011』が歯切れよく一気に進行し、6プロ服部明子(あきこ)作品『月曜日のスゥィート 〜種子の方舟』そしてグランドフィナーレまで、インタミッションを挟みながらも上演予定時間4時間20分ピタリ、盛況裡に終演したことを御報告したい。これもみな会場受付・楽屋・メイク・衣裳替え・花束係りなど裏方に徹してくれた八戸リセ・十和田リセ・二戸リセのお母様方はもとより、リセ専属スタッフ一同による成果であるのは間違いない。


つづいて行われた八戸グランドホテルでの「豊島和子〜お別れ会」では、まず主催者である八戸リセ長谷部智子会長・十和田リセ中野景子会長・二戸リセ十文字直子会長の三名による遺影への献花に始まり、180名もの参席者による献花がつづき、生前の豊島和子ダンスを圧縮エディションしたDVD『ギンガギガのススギのソゴ(底)にそっこりと さ(咲)ぐギンリョウのえどしおえどし』(ウメバチソウをギンリョウソウに差し替えた、賢治の一節のパスティッシュ。「えどしおえどし」は愛(いと)しくて愛しくて、このうえもなく愛しくて、の意。)が上映された。

宴の1: 「謝辞」を述べるリセ主宰(右)。左が「ギンリョウのたびだち〜お別れパーティ」会場。その前列に特別出演してくれたセルパン奏者橋本晋哉さん・作曲演奏の根本忍さん・舞踊家及川廣信さんら。©DANSE BALLET LYCÉE

服部明子・田島千征・大久保一恵のリセ専任教師、およびリセ運営責任者の高沢利栄(としえ)の四名とともに、現リセ主宰の私が謝辞(後述)を述べたあと、

宴の2: 「謝辞」を述べる豊島重之。リセ教師陣、後列左から服部明子・田島千征・大久保一恵・高沢利栄。   ©DANSE BALLET LYCÉE

八戸文化協会の元会長で、郷土史の第一人者、正部家種康氏の乾杯により「55周年記念の祝宴」に突入、青森県立美術館の高橋しげみ学芸員

宴の3: 青森県立美術館学芸員の高橋しげみさんによるスピーチ。       ©DANSE BALLET LYCÉE

や八戸ポータルミュージアム「はっち」の風張知子館長をはじめ、多くの参席者の方々からテーブルスピーチをいただくことができた。

宴の4: フランス文学者・一橋大学大学院教授の鵜飼哲さんによるスピーチ。その真後ろに及川廣信さん。その右がリセ運営責任者の高沢利栄。©DANSE BALLET LYCÉE

恒例のダンスタイムや、高卒・上京によるリセ卒業の四名、中野渡萌(もえ)・平船果凛(かりん)・大久保良美(よしみ)・大沢歩(あゆみ)による別辞(べつじ)と恒例のプレゼント贈呈式、

宴の5: 恒例のリセ卒業生へのプレゼント贈呈式。右から中野渡萌(もえ)・平船果凛(かりん)・大久保良美(よしみ)・大沢歩(あゆみ)の四名に、色紙とプレゼントを手渡す現リセ主宰(左)。さらにその左奥には、前リセ主宰=創設者の舞踊家豊島和子の遺影も。©DANSE BALLET LYCÉE

そしてリセを卒業したあとも都内のダンス最前線で活躍中の三名、長谷川風立子(さつこ)・四戸由香(よしか)・佐々木麻友(まゆ)を紹介して、なごやかに閉幕したこともまた御報告させていただきたい。

宴の6: リセを卒業したあとも都内のダンス最前線で活躍中の三名を紹介する現リセ主宰(右)。左から「プロジェクト大山」メンバーの長谷川風立子(さつこ)。2011年1月のモレキュラー『nori-shiro』公演にも出演し、この日は豊島和子追悼ソロダンス『Saudade』を披露してくれた四戸由香(よしか)。同じくこの日、豊島和子追悼作品『Left Long Left』に出演してくれた佐々木麻友(まゆ)。        ©DANSE BALLET LYCÉE

前述の「謝辞」は下記のとおり。


(社)現代舞踊協会東北ブロックの先生方の温かい御支援・御推挙により、同協会の一員に加えていただき、亡き師・亡き姉、豊島和子を引き継いで、正式にダンスバレエリセ主宰に就任した弟の豊島重之です。微力(びりょく)ではありますが、今日のステージと同様、今後のリセの活動も、この五名で力を合わせて運営いたして参ります。
本日は御多忙のなか、市内・県内はもとより、関東圏各地や札幌からも大勢の方々に御参席を賜(たまわ)り、深く御礼を申し上げたいと存じます。と同時に、この場に同席なされなかった多くの皆様にも、より一層の感謝を述べさせてください。ここに同席しえない方々のうちのひとりが、その不在のひとりが豊島和子そのひとだからです。

本日の公演が四時間をこえる長丁場(ながちょうば)で、かつ、こどもたち中心のプログラムであったこと、それに立ち会っていただいた皆様には、やや身(み)にこたえるタイムテーブルであったことには、わけがあります。こどもたちに混じって、こどもたちの身ぶりに紛(まぎ)れて、じつは豊島和子自身も踊っていたがゆえの長丁場だったのではないでしょうか。
こどもたちに混じって、まぎれてと言いましたが、豊島和子そのひとは、まさしく「生まれたばかりの幼な子」同然だと言い換えるべきでしょう。生涯、生まれたばかりの無垢(むく)で、無防備な、しかも少々、いたずら好きの幼な子だったとすれば、そのいたずら好きが嵩(こう)じて、今日のステージにもこどもたちの身ぶりにまぎれて出演することくらい、なんの造作(ぞうさ)もないことです。

豊島和子が、一生、独身を通したのは、「母になること」をしなかった不幸せではなく、数えきれない幼な子に恵まれた幸せにほかならず、幼な子とともに、自ら幼な子でありつづけた幸せと言うべきでしょう。なぜなら、幾多(いくた)の人生のなかで「幼な子になること」ほど、難しいことはほかにないからです。人間である限り、必ずや成長しつづけるのが常であり、幼な子でありつづけることは不可能だからです。それなのに、いついかなるときでも、瞬時(しゅんじ)に幼な子に立ち返り、そのつど新たな幼な子に転身(てんしん)する、いわば何度でも幼な子を「生き直している」かのような豊島和子。そのことを、今日のステージから私たちは知らされたのではなかったでしょうか。

あらためて、本日、豊島和子とともに踊ってくれた多くのリセエンヌたちに、それをいつも支えてくれるお母様方に、そしてこの場に御参席してくれた皆様全員に、もう一度深く感謝申し上げて、この「お別れ会」のエピローグとさせていただきます。これより、この瞬間から、ガラリと様相を変えて、ダンスバレエリセ55周年記念公演、打上げの祝宴となります。
その前にひとこと。ちょうどこの10月、今から7年前の10月に不帰(ふき)の人となった哲学者ジャック・デリダのことば「salut サリュー=道中、御無事で!」。「サリュー」というフランス語は、「じゃあね」とか「またね」といった別れ際(ぎわ)の挨拶であり、同時に「よう!」とか「どうしてた?」といった再会の挨拶でもあるのですが、いまこの場にもお見えのフランス文学者、鵜飼哲(さとし)さんは「道中、御無事で!」と翻訳されており、けだし名訳だと私は思います。この言葉をギアチェンジとして、この場に贈り届けたい。豊島和子を含むすべてのこどもたち、とりわけ「前途多難な」こどもたちに向けて、「来たるべき」幼な子に向けて。

「道中、御無事で。サリュー!」。

宴の7: リセ55周年記念公演の祝宴もラストを迎えて。前列左から、現役リセエンヌの大久保望(のぞみ)・田中幸乃(ゆきの)、高沢利栄と長谷川風立子のあいだにリセ卒業生の畑中優季(ゆうき)。後列左から、佐々木麻友・四戸由香・平訳美佳(みか)、そして右端がこの日、豊島和子追悼作品『人称と所在』を創りあげたリセ教師で、モレキュラーシアター・メンバーでもある大久保一恵。        ©DANSE BALLET LYCÉE

(23rd. Oct. 2011:現ダンスバレエリセ主宰 豊島重之)

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翌10月24日付けデーリー東北紙に、八戸出身のダンスアーティスト及川廣信さんによる、豊島和子に捧げた当日の舞台写真とともに、追悼公演の様子が掲載され、その翌25日付け東奥日報紙面には、当日のフィナーレ『種子の方舟(はこぶね)』の舞台写真とともに、リセ55周年記念・追悼公演の盛況を伝える記事が掲載されています。また、前日22日付け東奥日報紙面には、追悼写文集『ギンリョウのたびだち』刊行の紹介記事も写真入りで掲載。併せて目を通してくだされば幸いです。
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