第1報「ギンリョウのたびだち」みどころ & 第2報「被災地の舞踊家」

豊島重之 TOSHIMA Shigeyuki(ダンスバレエリセ主宰)

第1報 「ギンリョウのたびだち」みどころ

いよいよ10月23日のリセ55周年記念公演《ギンリョウのたびだち》(八戸市公会堂・午後1時開演・入場無料)が迫って来た。「3.11」直後、リセ主宰の舞踊家、豊島和子が病没した。「たびだち」とは、82年の生涯と60年もの舞踊生活を彼女に促した生地、東通村白糠(しらぬか)を指すとしたら、その急逝を「第二のたびだち」と呼べるかもしれない。とりもなおさずそのことは、残された私たちに「第三のたびだち」を促さずにはいないだろう。

この記念公演に、どんな作品がプログラムされているか、アット@ランダムに、見どころをいくつか、小出しに紹介していこうと思う。ここでは、第4プログラムの二作品のうち、リセエンヌ6名による群舞《人称と所在 locus solus 》を取り上げたい。

出演するのは、まず八戸東高表現科2年の佐々木萌衣(めい)。昨年2010年ソロ『青のパルス』をいっそう深化させた今年2011年のソロ『不眠症のトリル』は、動きをそぎ落としたミニマルかつシニカルな様相でもって、世界が寝静まるなか、〈たった独りの戦場〉という、窓ガラスを爪で引っ掻くような不眠の一夜を軽やかに表象したコンテンポラリーダンス。もちろん今年7月「埼玉全国舞踊コンクール」で入賞に輝いたソロ作品である。

佐々木萌衣 ©DANSE BALLET LYCÉE

次に聖ウルスラ高3年の大久保良美(よしみ)。今年2011年のソロ『バオバブに星実る』は、持ち味のしなやかなスケール感をいかんなく発揮し、さながら北米大陸の赤土の荒野セラードの〈発光する蟻塚〉や〈数万羽もの蝶の木〉を連想させずにはいない。2007年ソロ『ロプノールの魚』や2010年ソロ『花朽ちる朝』につづいて、今年7月「埼玉全国舞踊コンクール」でみごと連続入賞を果たしたソロ作品である。

大久保良美 ©DANSE BALLET LYCÉE

三人目は八戸北高2年の長谷部岬(みさき)。屏風絵巻にありそうな〈霊峰幻想〉に材を得た2006年ソロ『須弥山花(しゅみせんか)』で、「埼玉全国舞踊コンクール」特別賞に、翌2007年ソロ『蝶の水場へ』も連続入賞、早くから頭角を現してきたリセエンヌである。それゆえ2010年ソロ『龍の舌 Tongue of Dragon』は、燃えるような龍の舌が欲(ほっ)する湖水の一滴に賭けた、明らかにコンクールのワクを超えた野心作だったし、今年2011年ソロ『カーボンコピー・ビルディング』と題されたコンテンポラリーダンスでは、電脳都市のダークサイドに潜入を試みる。

長谷部岬 ©DANSE BALLET LYCÉE

四人目は、二戸市の福岡高校3年の平船果凛(かりん)。もはや誰も住んでいないはずの古い屋敷に迷い込む女。足音を軋(きし)ませて階段を昇り、埃(ほこり)にまみれた肖像画の前に立つ。それはかつて住んでいた、この屋敷の女主人の肖像画に違いない。だが、この妙な懐かしさは? 背筋が凍りつくようなこの感情は? では、この女は? そしてこの家は? 今年2011年ソロ『ラ・ティラーナの家』は、2010年ソロ『夜奏』あってこそ、「埼玉全国舞踊コンクール」入賞に導かれたと思う。ティラーナとは、もう一人の自分に出くわしてしまう〈戦慄の別名〉であり、〈夜奏する影たち〉でもあったのだろう。

平船果凛 ©DANSE BALLET LYCÉE

五人目は、十和田西高3年の中野渡萌(もえ)。2009年ソロ『仮睡(かすい)の淵』と2010年ソロ『塩を運ぶ女』につづいて、今年2011年ソロ『盲女の唄うたいのいる道で』も、「埼玉全国舞踊コンクール」に連続入賞している。だが、その真価が問われるのはここから先だ。自分の通る道がなぜこの道なのか、この道に立つ唄うたいは、なぜ盲目の老女でなくてはならなかったのか。答えは〈塩を運ぶ女の、仮睡の淵〉にある。なぜなら、その道は彼女以外、ほかの誰も通ることのできない道だったのだから。

中野渡萌 ©DANSE BALLET LYCÉE

六人目が、二戸市福岡中学3年の田中幸乃(ゆきの)。2008年ソロ『海へ/細胞の記憶』は、「ヨコハマコンペティション」で第三位、そして2010年ソロ『デッド・クロッスィング』と2011年ソロ『アスファルト・バビロンbis 』で「埼玉全国舞踊コンクール」に連続入賞したリセエンヌの有望株。細胞の記憶は未知の深海へ帰還するだけではなく、じつは未来都市へも帰還する。クラッシュを加速するトラフィック世界の様相は、失われた古代都市バビロンを彷彿(ほうふつ)とさせる、人類の生き残りを賭けた戦場でもあろうか。

田中幸乃 ©DANSE BALLET LYCÉE

この6名による《人称と所在》は、モレキュラーシアター公演でもおなじみの大久保一恵振付け演出による、豊島和子追悼の一作。〈喪(も)〉とは、人称と所在の解離に立ち会うことなのか、それとも非人称性と非所在性の合致に立ち会うことを意味するのか。これを見のがす手はない。

————〈デイジーのうた〉が聴こえる。見渡すかぎり一面のヒナギクの丘に。誰が歌っているのか、何処で歌っているのか。その人称と所在がゆっくりと引き剥がされ、引き離されていく。もはや人称は所在を知らず、所在は人称を知らない。そして互いに「piercing ピアスィング」しあう、ゆくりなき瞬間はもう来ないことを知らない。

註1:昨2010年の大久保一恵振付け作品『pierced ピアスト』を反転させたステージであることが示唆されている。
註2:「ゆくりなき」という古語が「思いがけない」とか「予測不能の」を意味するのは、言わずもがな、であろう。
註3:〈デイジーのうた〉は、宇宙ステーションの司令塔=HAL(ハル)が、絶命(ぜつめい)を強いられつつ歌う、さながら人類への挽歌(ばんか)と言おうか。すでに御承知の通り、人類に叛旗(はんき)を翻(ひるがえ)す「メガコンピューターHAL」の名は、シェークスピアの史劇『ヘンリー4世』のハル王子(Prince Hal)に由来するのか、それとも「halation=外光のカブリ・不鮮明な感光」や「hallucination=幻覚」の語頭が含意されているのか、キューブリックの映画では仔細(しさい)は不明のまま。いずれにせよ、人類の叡智(えいち)の結晶が、唯一生き残った人類に贈る、極(きわ)めつけの「lullaby=ララバイ」であり、悲喜こもごも悲喜劇こもごも、自分を造りだした者への恐るべき返歌(へんか)でもあることを忘れずにおこう。

———— 現・ダンスバレエリセ主宰 豊島重之(多くの方の御支援により、故人に代わって、非力かつ若輩ながらリセ主宰に就任したことを、多謝をこめて御報告させていただきたい。)

**************

第2報「被災地の舞踊家」

(1)
1896(明治29)年の三陸津波震災(死者ほぼ3万、被災者は八戸や北三陸など数知れず)の年に生れ、1933(昭和8)年の三陸津波震災(死者4千強、被災者も同様に数知れず)の年に病没した詩人・童話作家といえば、言わずと知れた宮沢賢治である。

「書/ながれたり」©Hironao Toyoshima

一方、1929(昭和4)年の昭和恐慌(きょうこう)から世界恐慌に到った年に下北半島の白糠(しらぬか)で生れ、師範在学中の1945(昭和20)年7月、米軍による東北最大規模の青森大空襲に被災、戦後上京してノイエタンツの道に踏みだした矢先に病魔に倒れ(それは郷里八戸での55年間の舞踊活動にあっても一進一退を繰り返すのだが)、1994(平成5)年12月の三陸はるか沖大震災でスタジオは致命的な損壊(そんかい)を被(こうむ)り、1996年1月に鉄骨三階建ての「ダンスバレエリセ」にリニューアルしたうえ、ゼロ年代の孤高(ここう)の舞を淡々と究(きわ)め、2011年3月の東日本大震災とともに旅立っていった豊島和子。今年10月3日刊行の追悼写文集《ギンリョウのたびだち》の奥付に、「a dance artist in Disastered region 」と表記されているのは、なんら誇張ではありえない。

(2)
仮に50〜60〜70年代前半を初期、70年代後半〜80〜90年代前半を中期、96年以降のゼロ年代を後期もしくは晩期と呼ぶならば、それぞれ60年代後半、80年代後半、90年代後半の、壮絶(そうぜつ)な転形期をともにした、この私にも鮮明な印象を甦(よみがえ)らせてやまない。いちいち、そのつどの代表作は挙げないが、どれも半ば不撓不屈(ふとうふくつ)の野心的な舞台であったのは確かである。それだけに、ゼロ年代の毎年一作、計10作を踊り切ったソロダンスにおける、まるで憑(つ)きものが落ちたような、清冽(せいれつ)なまでの佇(たたず)まいこそが、真に「壮絶さの独舞」だったのではないかと、今にして痛感させられることしきり。

「書/ながれたり」©Hironao Toyoshima

手の施(ほどこ)しようもなく重い病床にあって、八戸ゆかりの主治医S博士とのやりとり『目にていう』と題された口語自由詩をものしながら、もう口語自由詩は要らない、自分には文語定型詩があるからと、漏らしていた晩年の賢治もまた。その生涯の長短にかかわらず、両者がどこかしら通脈していたとしても不思議はあるまい。どうやら全身の血液をぜんぶ吐血(とけつ)しきって、もう一滴の血も残っていないカラダが語るのだ。「そちらから見たら惨憺(さんたん)たる景色(けしき)でしょうが、こちらから見たら、ただ一点の曇りもないほどに澄み切った青空が広がっているばかりなのです」と。

(3)
賢治の意外に知られていない一節に「ギンガギガの ススギのソゴ(底)にそっこりと 咲ぐウメバチのえどしおえどし」というのがある。このウメバチソウを「そっこり」ギンリョウソウに差し替えたのが、そう言ってよければ豊島和子なのだ。「えどしおえどし」とは、「愛(いと)しくて愛しくて、身も世もないほどに愛しくて」というニュアンスなのだが、安直なナルシシズムと勘違いされないよう留意しておくべき箇所でもある。ちなみに「ギンガギガ」には、一面の薄野(すすきの)が逆光に輝いている様子が込められていて、さながら天空の銀河をそのまま地上にも反照(はんしょう)させたかのようだ。しかもそこに、薄いピンクの梅花の小さな群落(ぐんらく)を忘れることなく配するのは、賢治ならではの巧(たく)みなセンスというか、「身も世もなき」情動の流露(りゅうろ)と言わざるを得まい。

ギンリョウのたびだち最終稿 ©DANSE BALLET LYCÉE

一方、豊島和子が、光合成(こうごうせい)不能の腐生(ふせい)植物たるギンリョウソウを自らになぞらえたのは、どうしてだろうか。ススキの野辺の銀世界に自らを溶け込ませて、人間(じんかん)の世俗から消息(しょうそく)を絶ちたかったのだろうか。そうではない。世界中で誰よりも愛したリセエンヌたちに、少しでも「ギンガギガ」の光の波動をもたらしたい、こどもたちのどんなに辛く厳しい日々にも、どんなに情けない自責(じせき)の夜々にも、梅花のひと群れのごとき薄いピンクの微光を注ぎたいという一心であって、そのためなら、自らは発光することのない所在たるを引き受けるという、事実、もう長いあいだ頸椎も脊椎(せきつい)も腐爛(ふらん)したままの生存であったのだから。繰り返すが、このことを自己犠牲的なパトスと誤解しないでほしい。豊島和子には、ほかに取るべき術(すべ)も選択肢もなかっただけなのだから。

(4)
いよいよ10月23日のリセ55周年記念公演《ギンリョウのたびだち》(八戸市公会堂・午後1時開演・入場無料)が迫って来た。その「公演プログラム=追悼写文集」の巻頭序文を次に掲げたい。つづいて(5)では、本書の巻頭写真を提供してくれた写真家、露口啓二さん執筆によるサイト御寄稿を一読してほしいと願うからである。生地徳島の古代民「阿波忌部(あわのいんべ)」探訪記(たんぼうき)が、めぐりめぐって豊島和子の生地、下北の白糠に旋回していく。としたら、これほどスリリングな「ソラとカイフの曳航(えいこう)」は、そうそうあるものではなかろう。

広告

投稿日: 10月 3, 2011 | カテゴリー: Uncategorized | パーマリンク コメントする.

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。