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リセ第11報:《安騎野(あきの)の冬の遊猟(あそびかり)》

見角貞利 MIKADO Sadatoshi (八戸在住の折に、豊島和子と親交を得た旧知の一人。現・横浜市在住。)

(1)
去る10月23日、ダンスバレエリセ豊島舞踊研究所創設55周年記念発表会《ギンリョウのたびだち 2011》が、八戸市公会堂大ホールに於いて粛然(しゅくぜん)と行われた。ステージの上に次々と展(てん)ぜられる舞宴(ぶえん)に対座しつつ、唐突(とうとつ)ながら古歌本『万葉集』に書きおかれた歌群(かぐん)のなかのひと節(ふし)を思わずにはいられなかった。

わたしがしたたかに連想へと搦(から)めとられ、想い浸(ひた)ってしまったのは、遊猟(ゆうりょう)の「さま」をうたった歌である。それは持統(じとう)7年(AD. 693年)の冬に、狩りのため、軽皇子(珂瑠皇子・かるのみこ・当時11歳)が「安騎(あき)の野に宿(やど)りましし時 柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそみ ひとまろ・当時40歳)の作れる歌」という題詞(だいし)に導かれた一節である。当時、無聊(ぶりょう)の慰(なぐさ)めに野・原・山辺へと、野鳥・野兎など小動物を、あるいは猪・鹿を狩りに打ち出ることが行われ、これを「あそびかり=遊猟」と称していたようである。

そして、この「あそびかり」は、また一説では「鎮魂呪術(ちんごんじゅじゅつ)を意味する〈あそび〉の古義・古儀(こぎ)が含まれており、狩場(かりば)一帯を祭場とする一種の祭式(さいしき)であった」という。かつ、この「〈山尋(やまたず)ね〉には、魂乞ひ(たまごい)の意味があり、それを主調音としてうたうことで、挽歌(ばんか)的な倍音(ばいおん)を伴う」とも説(と)かれている。これらの示唆(しさ)は、とりわけ故・白川静氏の貴重な読解に多くを負(お)っていることを付言しておきたい。

豊島和子追悼作品『歌垣(かがい)の森 2011』。さながら安騎野に荒れ狂う鹿の群れか、その鹿の群れを狩る馬上(ばじょう)の「燃え立つ魂乞ひの歌」か。撮影惣門 © DANSE BALLET LYCEE

(2)
この持統7年の冬猟の歌は、長歌一首と短歌四首とから展開(5章を参照)されていて、それは単なる狩猟歌ではない。のちに文武(もんむ)天皇となる幼き軽皇子の父、草壁皇子として知られた日並皇子(ひなみしのみこ)の薨去(こうきょ)より4年を経てのこの日、かつてその父も狩りに訪れた同じ安騎野に赴(おもむ)いての遊猟のさまを、随行(ずいこう)した人麻呂がうたったものである。じつは遊猟の様子自体は一言もうたわれていないのだが、この〈うた〉こそ、そのままに「あそびかりの儀(ぎ)」でもあった。

それは、亡き人の魂(みたま)をわれに、この場に、呼びおろす招魂(しょうこん)の儀なのである。管(かん=楽器)を吹き・打ち鳴らし(弦は使用しない)、歌詞を声に出して詠唱(えいしょう)することで、呪念(じゅねん)はより深く〈われら〉の生肉に寄り籠(こも)り、より深くこころ迫ったものとなる。此界(しかい=現世)にのこされし生者らは、過去への回帰を成し、死を、死んだという事実・現実を、しかと見ての、のこりし〈われら〉の不安ないしは、やり場のない憤(いきどお)りを鎮(しず)めるのだ。

この「死せし人の魂を呼び戻す・おろす」営み、招魂・魂まき・魂乞ひ・魂(たま)喚(よ)ばひ・・・等、さまざまに呼びなす行為は、元来、「死生がなお不明とされる〈もがり〉[註]の期間」に行われるとされてきた。いま、わたしが大ホールの暗冥(あんめい)のシートの一つに座して、目にしているリセエンヌたちによる舞踊こそ、まさに「遊猟のうた」そのものだ。そう確信させてやまない強い衝撃波をもって、わたしに迫る。まさにプリマドンナ豊島和子を讃(たた)え、和子霊への畏敬(いけい)の念をあらたにする呪術的儀礼そのものなのである。

[註] 貴人の本葬の前に仮宮(かりみや)に遺体を安置する服喪(ふくも)を「殯(もがり)」と呼び、「殯(あらき)」とも称したという。遺族たちは哀悼(あいとう)を込めて、「藻刈(もがり)舟」で水辺の藻(も)を刈り、それを「殯の宮」に供(そな)えたとも伝えられる。新(あたら)しく垣(かき)で囲んだ仮の喪屋(もおく)で執り行われた招魂呪術儀礼が「あらき」なのだ。あたら(可惜)しくもこの世の生を途絶(とぜつ)せざるを得なかった荒立(あらだ)つ魂を鎮め、死出(しで)の旅路の改(あらた)まりたる穏やかな日和(ひより)を願う、それが由来とされている(編者)。

豊島和子ソロ『スヴァールバル 〜 種子の方舟(はこぶね)』2008年12月。撮影惣門 © DANSE BALLET LYCEE

《ギンリョウのたびだち 2011》フィナーレ:前列左から大久保一恵・田島千征・及川廣信・橋本晋哉・根本忍・豊島重之・石井久美子・山本和美・服部明子ほか。撮影惣門 © DANSE BALLET LYCEE

(3)
「いにしへ」あるいは「いにしへ念(おも)う」という歌語が、さきの歌の長歌に織り込まれている。「いにしへ」とは、回帰への祈念であり、供奉(くほう)の詞である。いま生きてしあるわれら、いま生きてしあり踊り舞うわれら、そしてその同じ場にあって見守るわれらが、そのままに豊島和子その人の舞踊する姿態(すがた)そのものとなり、和子独りの舞姿となり、またまた無数の和子=リセエンヌとなる。ここにあるのは懐旧(かいきゅう)の情であるが、しかしそれに留まるものでは決してなく、あらたなる道程への希求(ききゅう)とよろこびとが幾重(いくえ)にも重層・複層し、混淆(こんこう)し、成就(じょうじゅ)されていく。

まことにもって晴れがましい〈ケ〉の場[註]の創出。だが、この場はなんと厳然(げんぜん)たる緊張を強いるものであろうか。喪失と新生=再生という深い感動は、ヒリヒリとしたよろこびを見る者・踊る者らに強いる。この軽やかでありながら、同時に荘厳(そうごん)なる面持(おもも)ちのステージ=遊猟は、「石(いわ)が根(ね)」と「禁樹(さえき=行く手をはばむ樹林)」とを踏みしだき、「旗(はた)ススキ」と「小竹(しの)」とを押しなべて進む苦行(くぎょう)=道行きそのものである。拒絶されているのではない。迎えられているのだ。これを古(いにし)への人は、〈遊猟=山尋ね=魂乞(たまご)ひ〉と言ったのではなかっただろうか。

[註] しばしば対語(ついご)として、ハレとケ=「聖性と俗性・陽と陰」のみを考えがちだが、その中間項として「ケガレ=穢れ」を念頭に置かなくてはならない。古来より人々が最も憂慮(ゆうりょ)したのは「ケガレ=ケが涸(か)れる」ことであり、いかにして〈ケの様態〉を保持しうるかに腐心(ふしん)したのであった。不浄(ふじょう)のケにまみれた一身であればこそ、浄化(じょうか)=ハレの日を迎えられるのであり、ケなくしてハレは虚(むな)しいことを、先人たちはよく知っていたからである(編者)。

2010年12月11日、リセ第54回発表会打上げ祝宴で謝辞を述べる豊島和子。撮影惣門 © DANSE BALLET LYCEE

同日の祝宴で、リセアン久保田祥貴くん(左)を激励する豊島和子(右)。撮影惣門 © DANSE BALLET LYCEE

その期待に応えて「埼玉全国舞踊コンクール 2011」第三位受賞を果たした久保田祥貴ソロ『微生物バロック』。撮影惣門 © DANSE BALLET LYCEE

(4)
いま一度あらためて、わたしのなかに向かって問い返してみよう。死はじつは仮死であり、呼べば蘇生(そせい)するものだと。この往古(おうこ)よりの信仰ともいうべき心根(こころね)が、断固として要請され、試練にさらされる。そのようにして「うた=舞踊の呪力」が発動されることにより、いま=現在・未来へと聯々(れんれん)と連なりつづく確信が会得(えとく)され、継承への道程が顕在(あらわ)れる。これを極東の列島に住(じゅう)しつづけてきたわたしたちは、「魂(たま)ふり」と呼んできた。

緊張と解放。伝承と継承。伝え・贈り・運ぶことと、それを継ぐ・襲(かさね)=重ね・繋ぐこと。その両の極を往来する方途(ほうと)をもって、永遠の舞踊者・豊島和子の鎮魂=魂(たま)ふりが、鳥肌(とりはだ)立たしめる強力=業力(ごうりょく)とともに湧出(ゆうしゅつ)したのである。その場が、この八戸の地に於いて成されたことほど悦(よろこ)ばしいことはあるまい。そして、この大ホールを埋めた衆目(しゅうもく)のうちに継承者・豊島重之が登場したこともまた。

だが、これはクライマックスではない。これはほんのビギニングにすぎない。コンティニューのひと環(わ)にすぎない。繰り返しておくが、安騎野での冬猟の歌は、猟そのものには一言も触れていないまま終わっている。うたわれるのは、猟地・安騎野へと向かいゆき、狩場で「旅宿り」をして一夜を明かし、東天に昇りくる朝日の曙光(しょこう)を待つところまでである。この歌の最後に置かれた短歌の第四首は、その立ち昇りくる光のなかで、朝もやを突いて、かつて父・日並皇子(ひなみしのみこ)がこの同じ野で狩猟に向け、共々(ともども)に騎乗(きじょう)し、並び立った「その時がいままさに来つつある」とうたいあげて終わる。愉しみはこれからである。敬愛・敬慕(けいぼ)せし舞踊者・豊島和子そのひともまた、大きな黒目を見開き、それを待っている。

左から中野真李・佐々木萌衣・中野渡萌・米田真子・田中幸乃ほかによる豊島和子追悼作品『月曜日のスゥィート(組曲)〜 種子の方舟(はこぶね)』2011年10月。撮影惣門 © DANSE BALLET LYCEE

《ギンリョウのたびだち 2011》フィナーレ:前列右から『コッペリア・スゥィート』振付け指導の石井久美子先生・リセ主宰の豊島重之・『セルパンとライヴエレクトロニクスのための〈シララオイカ sirar. oika〉』作曲の根本忍氏・セルパン演奏の橋本晋哉氏ほか。撮影惣門 © DANSE BALLET LYCEE

(5)
持統7(AD. 693)年 冬の猟歌:

[長歌] 一・四五
やすみしし わが大君(おおいきみ) 高照らす 日の御子(みこ)
神(かむ)ながら 神(かむ)さびせすと 太敷(ふとし)かす 都を置きて
こもりくの 泊瀬(はつせ)の山は 真木立つ 荒き山道(やまぢ)を
岩が根 禁樹(さへき)押しなべ 坂鳥(さかどり)の 朝越えまして
玉かぎる(玉と輝く) 夕さり来れば み雪ふる 安騎(あき)の大野に
旗すすき 小竹(しの)を押しなべ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ひて

[短歌(四首)] 一・四六
安騎の野に 宿る旅人 うち靡(なび)き
寂(い)も寝(ぬ)らめやも 古(いにしへ)念(おも)ふに

一・四七
ま草苅(か)る 荒野(あれの)にはあれど 黄葉(もみぢば)の
過ぎにし君が 形見(かたみ)とぞ来し

一・四八
東(ひむがし)の 野に陽炎(かぎろひ)の 立つ見えて
かへり見すれば 月かたぶきぬ

一・四九
日並皇子(ひなみしのみこ)の命(みこと)の 馬並(な)めて
御猟(みかり)立たしし 時は来向(きむか)ふ

リセエンヌ20名による豊島和子追悼作品『月曜日のスゥィート(組曲)〜 種子の方舟(はこぶね)』2011年10月。撮影惣門 © DANSE BALLET LYCEE

(6)
一度、お会いすれば忘れようのない、あの力強い眼光と、際限(さいげん)なく展(ひろ)がるやに思える、あのにこやかな破顔(はがん)。人をして惜しみなくこころ動かしめ、かつ、惜しみなくこころ落ち着かせる語り口。そのアルトの零れ音(こぼれね)と言おうか。むしろ、どこにあっても絶えざる主旋律(しゅせんりつ)を奏(かな)でるテノールと言おうか。わたしのような者がいきなり訪れても、さも旧懇(きゅうこん)を暖めるように迎え入れてくれた和子さん。ステージ上と変わらぬその佇(たたず)まいに魅(ひ)き寄せられて、ついつい長話しになっても、いやな顔ひとつ見せなかった和子さん。八戸在住当時のわたしにとってはもちろん、今のわたしの心象のなかの和子さんは文字通り、荒野の一灯(いっとう)にほかなりません。

そこでわたしは、《ギンリョウのたびだち》のステージに「わたしの心象」を再訪させたのです。荒野の冬の「あそびかり」の歌とともに。和子さん追悼の舞台を観ずして「見る=語る」。あろうことか、この目にしてもいない舞踊の数々を「観た」と言いなして。妄言・迷言(まよいごと)のたぐいと一笑(いっしょう)に付(ふ)されるのを承知(しょうち)のうえで。追悼公演に携(たずさ)わった御一同に感謝をこめて。そして、和子さんの眠る八戸の冬を忘れないために。
合掌。

豊島和子ソロ『ピカイア』2006年9月。撮影惣門 © DANSE BALLET LYCEE

 

(2011年11月14日脱稿。11月23日サイトUPを御快諾いただいた。)

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